「竜神NIPPON」の愛称(2009年公募で選出)で世界の頂点を目指す男子バレーボールの中心選手である石川祐希選手。
石川祐希選手といえば、イケメンで女性ファンも多く、もちろんバレーボールの実力も素晴らしいものがあります。
そんな石川祐希選手の出身中学、出身高校やバレーボール歴、彼女についてなど詳しくみていきましょう。
石川祐希の出身は?バレー始めたきっかけも
石川祐希選手のプロフィールをご紹介しましょう。
- 名 前:石川祐希(いしかわゆうき)
- 生年月日:1995年12月11日
- 血 液 型:AB型
- 身 長:192cm
- 体 重:84kg
- ポジション:ウィングスパイカー
- スパイク最高到達点 348cm
石川祐希選手の出身地は愛知県岡崎市です。
地元の岡崎市立矢作南小学校に入学し、小学4年生の頃に1学年上の姉が所属するバレーボール部の練習を見学。このことがきっかけでバレーボールを始めました。
岡崎市を含む三河地区はバレーボールが盛んな地域で、岡崎市立矢作南小学校のバレーボール部は全国有数の強豪チームで、5年生でもベンチに入れない子がいる中、石川祐希選手はバレーを始めて1年目にしてベンチ入りしました。
実は、石川祐希選手は小学3年生の時に、まずは野球を始めています。
男の子ならば、まずはサッカーや野球に興味を持つことが多いでしょうね。
しかも、愛知県は野球の強豪地域でもありますし、甲子園全国最多となる合計11回の甲子園優勝を誇る超名門「中京大中京高校」のある県です。
その「中京大中京高校」は名古屋市にあります。
もし、石川祐希選手が名古屋市出身だったら、そのまま野球の道を進んでいたのかもしれませんね。
石川祐希の出身中学やバレー経歴
石川祐希選手は、小学校6年生の時に全国大会でベスト8という実績を残しました。
小学校卒業後はそのままバレーボール強豪校と言われている岡崎市立矢作中学校に入学します。
中学時代では愛知県選抜のレギュラーとしても活躍し、都道府県対抗中学バレーボール大会で準優勝。そして都道府県対抗中学バレーボール大会優秀選手にも選ばれました。
持ち前の才能溢れる選手であるように思いますが、実は中学時代は体格の面で苦労しました。
中学校入学のタイミングで身長は約160cmと背が高くなかった石川祐希選手。
背の高い対戦相手とのレベルの差は顕著で、思うようにスパイクが決められない日々が続きました。
それでも、腐ることなく努力を重ねた石川祐希選手。
スパイクのフォームの修正、コースを打ち分けられる技術の習得、レシーブ能力の向上など、自ら課題を掲げ、さまざまなことに挑みました。
その後、中学2年生の時には身長170cmほどに、中学3年生の時には身長180cmを超えるまで背を伸ばし、チームのエースへと成長。
日々の地道なバレーボールの練習と、体を大きくするための食事を考えてとっていたんだろうなと、バレーボールのセンスに光る裏には、原点となる基本の練習はしっかりと積んで今があるんだということがわかります。
石川祐希の出身高校やバレー経歴
石川祐希選手は中学卒業後、愛知県のバレーボール強豪校である星城高校に進学します。
高校1年生の時は、エーススパイカーとして練習を積み、高校2年生にエースとして成長。
※高校バレーの3大大会
- 全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)
- 全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会(インターハイ)
- 国民体育大会バレーボール競技(国体)
この3大大会3冠を達成しました。
インターハイではベスト6と優秀選手に選出され、春高バレーでは最優秀選手に選出、全日本ユース代表にも選ばれました。
そして高校3年生の時には、キャプテンとなり、2年連続の3冠を達成という偉業を成し遂げます。
高校3年生の時も、インターハイでベスト6と優秀選手に選出され、春高では最優秀選手に選出されました。
石川祐希選手個人の実力もすごいのですが、チームとしても石川祐希選手が高校2年生から高校3年生の2年間で、なんと公式戦99連勝!
すごい記録ですね。
星城高校進学の時に、中学3年生の時の都道府県対抗中学バレーボール大会決勝で負けて準優勝した時に選抜の仲間と、「高校で日本一になろう」と共に進学した石川祐希選手。
その強者揃いの中からさらに優秀選手に選出されるんですから、石川祐希選手がどれほどすごい実力のある選手であったのかがわかります。
星城高校バレーボール部の竹内裕幸監督さんは高校時代の石川選手のことを、「何事にも視野が広く、バレーボールに対する向上心がストイックでした」と石川祐希選手の印象を話されています。
注目は、「伸びしろが十分に残った楽しみな門出でした」と石川祐希選手が高校を卒業する時の竹内裕幸監督さんの言葉。
石川祐希選手の高校時代の成績を見ると、完成されたバレー選手のように思いますが、まだ伸びしろが十分に残っているだなんて、もうこの時から世界を相手にするレベルでの実力や可能性を竹内裕幸監督さんは見ていたんでしょうね。
「何事にも視野が広く、バレーボールに対する向上心がストイックでした」という石川祐希選手に対する言葉は、竹内裕幸監督さんにも当てはまる言葉であるのではないでしょうか。
石川祐希選手は高校時代、素晴らしい監督さんに出会ったと思います。
石川祐希の出身大学やバレー経歴
石川祐希選手は高校卒業後、中央大学法学部政治学科に進学します。
1年生で開幕からスタメンとして活躍し、2014年5月に史上最年少でバレーボール男子の全日本代表入りを果たします。
また、関東大学春季リーグ戦で完全優勝・全日本バレーボール男子大学選手権優勝にも貢献、新人賞・会長特別賞・サーブ賞を受賞。
大学1年生の2014年から2016年まで、全日本バレーボール男子大学選手権3連覇達成。
大学4年生の時にキャプテンとなり、4連覇を目指しましたが、残念ながら第3位に終わり4連覇はならず。
中央大学在学中の1年生の冬に、イタリア・バレーボールセリエAの名門「パッラヴォーロ・モデナ」に3ヶ月間の短期留学し、2016年にはイタリア・バレーボールセリアAの「トップ・バレー・ラティーナ」への短期派遣を約3ヶ月間経験し、プロの世界を体感します。
2018年3月に大学を卒業後は、日本のVリーグのチームに所属せず、プロバレーボール選手としてイタリア・セリエA「エマ・ヴィラズ・シエナ」でプレー、2019年からは「パッラヴォーロ・パドヴァ」でプレーしています。
常に上の世界で挑戦を続ける石川祐希選手。
国が変われば言葉の問題もあり、海外でいちばんの壁が他の選手とのコミュニケーションだと言われますが、イタリア語も勉強をし、セリエAでも活躍しています。
石川祐希選手のような選手が他にも出てきたら、日本の男子バレーボールのレベルが格段に上がり、オリンピックで金メダルを獲ることも夢ではなくなりますよね。
日本男子バレーボール世界一を目指して、まだまだその中心選手として活躍を期待します。
石川祐希の挫折した過去について
石川祐希選手のバレーボール歴を見ると、これまで何の問題もなく順調に歩んできているように思いますが、実は挫折を感じたこともあります。
まずは中学時代。
中学時代は身長が低かったため、その身長の低さを補うため、コートに折りたたみの椅子を置いて、スパイクで打ち抜く練習をひたすら繰り返した石川祐希選手。
この練習がスパイクのコースの打ち分ける技術を身につけることとなり結果オーライなのですが、石川祐希選手の記憶の中では挫折を味わった時期です。
そして大学時代。
イタリア・バレーボールセリエAの名門「パッラヴォーロ・モデナ」に3ヶ月間の短期留学の時、この3ヶ月で15試合中スタメンが2試合という出場機会が与えられない屈辱。
言葉の壁により意思疎通ができないもどかしさもあった中で、2016年リオデジャネイロ五輪世界最終予選での敗退は、石川祐希選手にとって大きな挫折となりました。
その悔しさを現実にするべく、リオデジャネイロ五輪男子バレーボールの表彰式の会場に石川祐希選手の姿がありました。
「絶対(オリンピック)決勝のコートに立ちたい」と心に誓った石川祐希選手。
今までも、努力を重ねて困難な壁を打ち破ってきてますので、全日本を決勝の舞台にいつか導いてくれるでしょう。
チームプレーなので、石川祐希選手だけが実力をつけるのはだめですが、その姿に引っ張られて他の代表選手も世界と戦える実力を身につければ、オリンピック決勝のコートに立ち、金メダルを獲得することも夢ではないと思います。
石川祐希選手の目に焼き付けた光景が、いつか我々の目に現実の光景として映し出されることを信じています。
石川祐希の妹もやばい!姉もいる?
石川祐希選手には石川真佑(いしかわまゆ)さんという妹がいます。
石川真佑さんもバレーボール選手で、中学は長野県長野市立裾花中学校(バレーボールの名門)に親元を離れて進学、高校は東京都世田谷区下北沢成徳高校(バレーボールの名門)に高校も親元を離れて進学し、中学、高校と数々の優勝を成し遂げ、個人でも最優秀賞やベスト6表彰選手の1人にも選出されるほどの素晴らしい選手です。
高校卒業後は東レアローズに入り、2019年にはバレーボール女子の代表にも選出されています。
驚くのは、石川真佑さんの身長が174cmと小柄ながら、全日本女子バレーボールの中田久美監督は、「ひとつひとつのプレーの完成度が高いだけでなく、突出しているのは相手への対応力だ。高いブロックに対しての打ち分け方が非常にうまい」と評価。
お兄さんである石川祐希選手とともに、これからの日本のバレーボールを明るい未来に導いてもらいたいですね。
そして、石川祐希選手がバレーボールを始めるきっかけとなったお姉さん(尚美さん)は、2016年にご結婚されています。
尚美さんは1994年生まれですので、22歳の時に結婚されたことになりますね。
これから石川祐希選手も妹の石川真佑さんもバレーボールで悩んだ時、お姉さんの尚美さんは良き相談相手としてこれからは陰の応援団としてサポートしていく立場になっていくと思います。
石川真佑さんは2000年生まれなので、お姉さんの尚美さんは6歳上になりますし、バレーボール以外のことも色々相談できる頼りになるお姉さんの存在であることも間違いないと思いますので、バレーボール選手として女性として1番理解してくれる最高のサポーターですね。
石川祐希の実家・両親は?
石川祐希選手の実家は、愛知県岡崎市。
石川祐希選手のご両親もスポーツをされていました。
お父さんは、石川幹尚(もとなり)さん。身長184cmの実業団デンソーの陸上選手(短距離)で、2000年に行われた「実業団陸上競技選手権」で4×100mリレーのメンバーに幹尚(もとなり)さんの名前がありました。
お母さんは、石川みどりさん。実業団デンソーの元バスケットボール選手で、身長が165cmと小柄なバスケットボール選手でした。
体を動かすことが好きで、小学校は女子サッカー、中学校はサッカーと軟式テニス、高校ではバスケットボールを始め、高校卒業後、デンソーの実業団でバスケットボール選手としてプレーしています。
ご両親共々、運動神経がよかったことがわかりますね。
そして身長もお父さんの幹尚(もとなり)さんの高身長は石川祐希選手に、お母さんのみどりさんの小柄が妹の石川真佑さんにというのも似てるなという感じですね。
お姉さんの尚美さんも含め、ご家族全員がスポーツと関係しているスポーツ一家ですね。
石川祐希に熱愛彼女が?好きなタイプは?
石川祐希選手はかなりのイケメンなので、彼女がいてもおかしくないですよね。
一般人の何人かと噂はありますが、1番の有力候補は山本怜さんです。
山本怜さんは卓球選手で、2人とも中央大学の同学年で、同じ寮に住んでいるという接点も多く、しかも山本怜さんは雑誌「Number」の美しすぎるアスリートで特集を組まれるほど美人です。
そしてもう1人が、古賀紗理那さん。全日本女子バレーボールのエースです。
2015年にお互い19歳で日本代表に選出され、「最強の19歳」と取り上げられ、古賀紗理那さんが石川祐希選手のことを「刺激を受ける存在」と語ったことなどから、噂になっています。
いずれにしろ、山本怜さんも古賀紗理那さんも噂の域で、彼女であると確定できる目撃情報などはありません。
ちなみに石川祐希選手の女性の好きなタイプは・・・
- とにかく優しくて面倒見のいい人
- よくしゃべってくれる人
- 年下より大人っぽい年上が好き
- お嬢様タイプが好き
- 芸能人でいうと、能年玲奈(のん)・有村架純・堀北真希
ということなので、噂になっている山本怜さん、古賀紗理那さんは当てはまっていない感じもしますが、結局は好きになった人がタイプとか言いますからね。
いずれにしろ、イケメンと美女なので、噂にされるだけでも羨ましい限りです。
石川祐希は結婚してる?真相は?
石川祐希選手が結婚しているのではと噂があるようですが、結婚はしておらず独身です。
そんな結婚という情報がなぜ出てきたのかと言うと、インタビューの中で結婚について語ったことがあり、結婚については「26か27歳くらいでしたい」と答えていたことがありました。
そんなインタビューを聞いて、石川祐希選手と結婚したいとネット上でつぶやく女性が多かったことから、「結婚」と言うワードが検索で引っかかってきたのではないでしょうか。
プロスポーツ選手は、早く結婚した方がいいと言います。プロ野球選手に限ってのことかもしれませんが、早婚の選手の方が活躍していることが多いため、もしかしたら石川祐希選手も早く結婚をすれば、もっと世界で活躍する選手になるかもしれないですね。
愛する人のために。
なによりも自分の力になる気がします。
その未来のお相手は誰になるのか、楽しみです。
石川祐希の出身中学高校は?バレーの経歴を徹底調査!まとめ
石川祐希選手について、色々見てきました。
家族から受け継がれてきた持ち前の運動センスがあることはもちろんのこと、その陰では自分の弱点を努力で克服し、悔しい思いの中から学び、日々挑戦し続けていることがわかりました。
体格などで日本人選手にはどうしても不利なのかもしれませんが、ラグビー日本代表の活躍のように日本しかできない粘りのバレーボールで、世界の頂点を目指してがんばってもらいたですね。
そのためには、石川祐希選手の活躍は必須なので、今後の日本男子バレーボールの活躍を応援していきましょう。
がんばれ!石川祐希選手!
がんばれ!「竜神NIPPON」!