亀田誠治の嫁は誰!?馴れ初めや子供、年収などについても詳しく調査!

音楽プロデューサー・ベーシストとして大活躍の亀田誠治さんですが、「嫁はミュージシャン」との情報が流れています。

また、数々の人気アーティストを手掛けてきた亀田誠治さんですが、その年収が凄すぎるとも言われています。

今回は亀田誠治さんの「嫁はミュージシャン」の真相、気になる年収について詳しく調査していきたいと思います!

亀田誠治の嫁はミュージシャン!

亀田誠治さんは、1964年6月3日生まれの55歳、現在は音楽プロデューサー兼ベーシストとして幅広くご活躍されています。

ネット上に、「亀田誠治さんの嫁はミュージシャン」との情報が多数ありますが本当なのでしょうか?

調査した結果、「亀田誠治さんの嫁」と呼ばれる人物は、歌手の下成左登子さんであることが判明しました。

下成左登子さんは、宮崎県出身、1961年8月26日生まれで現在は58歳です。

子供の頃からピアノやオルガンを習っており、14歳の頃にはご自身で作曲活動も行うようになりました。

1977年、高校1年生で出場した第13回ポプコン宮崎大会で入賞、翌1978年の第15回ポプコン九州本選会ではグランプリを獲得し、同年にはシングル「秋の一日」で歌手デビューしています。

その後も下成左登子さんは、ポップスやアニメソングを専門に歌手活動を行っており、テレビアニメ「ひみつのアッコちゃん」や「小公女セーラ」、「戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー」の主題歌を歌ったり、辛島美登里さんや松任谷由実さんのツアーにバックコーラスとして参加されたこともあります。

2008年には子育てのため、一時歌手活動を休止されていますが、2012年には復帰し、ライブ活動などを精力的に行っています。

さらに、下成左登子さんは歌手のスーザン・オズボーンより習得したソングハウス活動(発生で心身を鍛えるメンタルケア)にも力を入れています。

近年では、亀田誠治さんが音楽プロデューサーを務める映画作品の試写会にご夫婦で参加されたり、下成左登子さんのライブに亀田誠治さんがベースで登場するなど、公の場でもお二人の姿を確認することができます。

亀田誠治の嫁との馴れ初め調査

1989年、当時25歳の亀田誠治さんは大人気アイドルグループであった「CoCo」の楽曲アレンジを任され、それが記念すべきプロデュース作品のCD化第一弾となります。

そしてそのレコーディングに参加していたのが、歌手の下成左登子さんでこれがお二人の出会いとなります。

亀田誠治さんの記念すべきデビュー作品が生み出される場に、未来のお嫁さんとなる下成左登子さんが居合わせた、ということになりますが、とても運命的なものを感じますね!

亀田誠治に息子いた!音楽家なの?

亀田誠治さんと下成左登子さんの間には、1993年に息子さんがお生まれになっています。

ご両親とも著名なミュージシャンであるため、きっと息子さんも幼い頃から音楽と触れ合う日々を送ってきたのかと思われましたが、亀田誠治さんの息子さんは音楽ではなくサッカーの方に熱中していたようです。

ポジションはゴールキーパーで、亀田誠治さんも忙しい音楽活動の傍ら、息子さんの試合の日には朝5時に起きて一緒に試合に行っていました。

亀田誠治さんのツイッターを見てみると、息子さんのお誕生日にはお祝いのメッセージを送ったり、指圧などをしてスキンシップをはかっていたり、心温まるの親子関係を垣間見ることができます。

亀田誠治さん下成左登子さんともミュージシャンでありながら、決して音楽を無理強いすることなく、息子さんには好きなことをとことんさせてあげてきたようです。

そんな亀田誠治さんの息子さん、現在はおそらく社会人になっていると思われますが、どこで何をしているかなどの情報は見つかりませんでした。

今でも良好な親子関係にあるようなので、仕事の合間を縫ってご両親のライブに通っているのかもしれませんね。

亀田誠治の年収が激ヤバ!

数々の人気アーティストを手掛けてきた亀田誠治さんですが、やはりその稼ぎがいかほどなのか気になるところです。

亀田誠治さんの年収を調査してみましたが、やはりその額は公表されていないため不明です。

しかし、一般的な音楽プロデューサー・ボカロプロデューサー(VOCALOIDを使って楽曲を制作しているプロデューサー)の平均月収は約30万円で、年収は380万~500万円位になるようです。

また、その額はレコード会社などに所属しているプロデューサーなのか、フリーランスのプロデューサーなのかによっても大きく変わってくるようです。

ちなみに、AKB48のプロデュースなどで知られる秋元康さんの推定年収額は、業界トップの50億円とも言われています。

以上のあらゆる点を考慮して亀田誠治さんの場合を考えると、音楽プロデューサーとしての年収はざっくり1000万円以上はあると想定されます。

亀田誠治は高学歴ベーシストだった

亀田誠治さんはご両親の駐在先のアメリカ・ニューヨークでお生まれになり、生後1年で帰国しました。

音楽好きな母親の影響もあり、亀田誠治さんは3歳の時にピアノを始めました。

小学5年生の時に、家にあったクラシックギターでビートルズをコピーしたことを機にギター教室に通いますが、翌年に大阪から東京に引っ越したため、ギターはそこでやめてしまいました。

しかし、小学6年生にして洋楽のラジオ番組に夢中になるなど音楽への興味はむしろ加速していったようです。

大ファンであったビートルズの楽曲のベースラインに惹かれるようになり、中学生で初めてのベースを手に入れることとなり、その当時からすでにプロのミュージシャンになることを意識し始めます。

ちなみに中学時代はスポーツも得意な方で、成績も上位、さらには生徒会長も務めるなどパーフェクトな学生だったようです。

中学3年生の時には高校受験のためしばらく音楽活動は封印していましたが、私立武蔵高校に入学後は現在も使用しているYAMAHA BB2000を購入しベース三昧の日々を送ります。

高校時代はバンド活動に全力で取り組んでいた亀田誠治さんですが、なんと早稲田大学第一文学部入学に現役合格しています!

早稲田大学在学中には、現在の亀田誠治さんのメインベースであるフェンダー・ジャズベースと出会い、ピアニスト兼ヴォーカリストの吉中美樹さんと音楽ユニット「Miki-Pooh」を結成し活動するなど、音楽活動に大忙しな生活を送ることとなります。

そのため大学を1年留年しましたが、多くの友人に助けられなんとか無事に卒業できたようです。

亀田誠治さんは中学・高校・大学時代も、きっちり勉強をこなしながら音楽活動に取り組む努力家だったんですね。

亀田誠治の東京事変について詳しく!

亀田誠治さんの音楽人生を語る上で欠かせない人物と言えば、やはり椎名林檎さんでしょう。

亀田誠治さんと椎名林檎さんの出会いは1998年にさかのぼります。

当時の音楽業界では椎名林檎さんのような個性が溢れる女性アーティストはあまりおらず、レコード会社から、椎名林檎さんの才能をより上手く引き出せるのは亀田誠治さんが適任なのでは、という誘いの声がかかりプロデュースを引き受けることとなりました。

このレコード会社の読みが見事的中、椎名林檎さんのアルバムは2作連続ミリオンという快挙を果たし、瞬く間に椎名林檎さんは日本を代表する女性アーティストとなっていきました。

しかし、椎名林檎さんは2003年に、引退を考えるほどに音楽への創作意欲を失くしてしまいます。

そこで、亀田誠治さんがベースで参加していた椎名林檎さんのバックバンド「東京事変」に、椎名林檎さん自身がボーカルとして参加する、という形で音楽活動を再スタートしていきました。

東京事変は何度かのメンバーチェンジはありましたが、亀田誠治さんはベーシスト兼作曲・編曲家として東京事変のバンドサウンドを支え、東京事変を音楽シーンで唯一無二の存在へと導いていきました。

亀田誠治さんは、中学校の卒業アルバムに「10年後、武道館で会おう」という言葉を書き込んでいます。

東京事変のベーシストとして、40歳にしてバンドデビュー、そしてベースを手にした頃からの夢の舞台・武道館でライブを実現させました。

憧れのビートルズが演奏したこともあり、武道館でのライブには亀田誠治さん自身相当な思い入れがあったようですね。

椎名林檎さんとの運命的な出会いが、これまでになかった女性アーティストのジャンルを音楽シーンに誕生させ、自らも表舞台でベーシストの夢を叶えることに繋がっていったんですね!

亀田誠治の嫁は誰!?馴れ初めや子供、年収などについても詳しく調査!まとめ

以上、亀田誠治さんについて「嫁はミュージシャン」の真相や、年収などについて詳しく調査してみました。

「亀田誠治さんの嫁」と称されていた人物は歌手の下成左登子さんで、息子さんも含め今でも仲良し家族であり、亀田誠治さんのプロデューサーとしての年収は1000万円以上はあることが推測されていました。

椎名林檎さんはじめ、多数のアーティストから絶大な信頼を得て、ヒット作を連発してきた亀田誠治さん。

今後も様々なジャンルでその手腕を発揮し、ますますJ-POP界を盛り上げていってくれることと思います!

fam8本文下

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